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昔のこと

最近、Twitterとpixivにかかりっきりでブログ放置気味です。
ヒャ~つかれた~という感じデスネ。

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pixiv

Twitter

Twitterは日常用でイラストや4コマ漫画アップしてpixivはまとめ用に使ってます。




 最近はゲーム断ちの甲斐もあってか、youtubeやらTwitterやら現代的(?)なものに多く接しています。
 元々、私は少し閉じていく性格なのでちょうど良いカンジかも知れません。少し前は古典やらモノクロ映画に傾倒していたので自分でもずいぶん変わったものだと思います。

 まじめな話、自分のそういう傾向に気付いたからこそ新しい文化、新しい発表形式を学んで楽になりました。

 大昔の話ですが私は先生に対して「勉強する意味って何ですか?」と深刻に聞いてしまうような生徒でした。それと同じく、絵を勉強し始めた時も「美って何だろう」と考え込んだあげく、図書館で棚を探し回り、岩波文庫を読み漁り、う~ん…と自問自答して、結局よくわからなくなってしまうというカンジで…。今だとアッハッハッハッで済ませられるんですが当時は本当に真剣だったのです。
 当時の先生方には、また何かウロウロしてんな…とか思われて心配されていたでしょう。

 自分の中で閉じていく期間は終わったのかな…と最近は思っています。暗い穴蔵の中に籠もって、埃をかぶった遺物をシゲシゲと眺めているような生活。それはそれで充実して楽しかったのですが、まぁ社会的に見れば一種のヒキコモリというヤツに見えたでしょうな。
 それでもその穴蔵生活で見つけた宝物は今でも心の中にシッカリと残っています。
 「これからは明るい方向に行こう。」今は何につけてもそう思うようになりました。

 人間、変わるモンデスネ笑

 なんとな~く今日はストレス解消的に昔話をブログにでも書いてみっか!!!と思って投稿してみました。

 まだまだやりたい事の道のりは遠いですが頑張って行こうと思います。

 読んでくださりありがとうございましたm(_ _)m

 またキテネ :-)


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苦痛の意味

先日、酷い体調不良に襲われた。
まず激しい動悸と目眩が2、3日続いた。多分パニック発作のようなものだと思う。
少し過労気味だったようだ。
その後、激しい頭痛と吐き気に見舞われダウン。水すら飲めなくなり動けなくなった。
あまりに身体が辛いので試しに腕を噛んでみたところ不思議に心地よくドMさんの気持ちが少しわかった。
そうか。少量の苦痛は多量の苦痛を紛らわす効果があるのか。勉強になるなぁと思いつつ腕をガブガブ。気持ちいい。

倒れている間、一番の楽しみは睡眠だった。
カフェインの過剰症を疑って鎮痛剤も飲まなかったので、リラックスして眠るということは不可能。ひたすら体力がなくなって気絶するように眠りこけるのを待つしかない。
しばらくすれば自然と良くなると頭ではわかるものの身体の苦痛は絶え間なく、「あうあう」ぐらいしか言葉を発せないのも哀れである。
体力を使い果たすと身体が強制終了して眠ることが出来る。これが気持ち良い。意識が途絶してなにがしかの無意識が適当な夢を見せて楽しませてくれる。起きるとまた絶え間ない苦痛が始まる。

そうやって自然と身体が治ったわけですが、苦痛の最中に居た時は妙に思考がクリアな気がしました。
二度と味わいたくないですが、どうせ今際の際には同じ想いをするのだろうなと思うと今まで彼岸に渡った家族の苦労が思い出されて、自分が将来先にいった馴染みの面々と再会するのも大変なのだろうなと思いました。

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竹取の翁

高畑勲監督作品「かぐや姫の物語」を観ました。

劇場まで観に行ったのですが今回二回目。観たい観たいと思っていたのですが今回初めてDVDを借りました。
今まで観たくても観なかった理由は観ると辛いから。
美しい音楽とアニメとは思えないような日本画的映像。思わず溜息をついてしまうような作品なのですが。いかんせん、内容が辛いッ!
嫌いじゃなくてむしろ好きなのですがとにかく辛い。
小さなボタンの掛け違いから一人の自由な女性が不孝になっていく様が淡々と描かれます。誰が悪かったんだよという内容。
とっても感動。ですがみぞおちにズシンと拳を叩き込まれたような気分になります。
ほんっっっとうに良い映画なのですがキツイのです。

この映画の竹取の翁は良い父親でしょう。たけのこを愛していたことは確かでしょう。良い父親であろうとした姿に偽りはないでしょう。
人の好い好々爺を都に誘ったのは、竹から溢れ出た小金と美しい着物でした。
翁はその現象を天命であると解釈し、たけのこを高貴な姫とすることを画策します。

結果、たけのこからかぐや姫と名を変えた少女の運命は悲劇的なものとなります。

もしこの映画がループモノだとするなら、竹から溢れた小金と翁の決定が大きな分岐点となることでしょう。
どうすればよかったんだ?その答えは映画を観た人の心に委ねられているのでしょう。
だからこそ辛い。そして面白いのです。



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学と遊

先日、松尾芭蕉が北関東を訪れた場所や文章を時系列にしたパンフレットを見つけた。
なかなか面白いので部屋に貼ってたまにぼんやり眺めている。
奥の細道で有名な松尾芭蕉には弟子の曾良という随行者が居て芭蕉の旅に付き添い、日々の雑事を記録している。
パンフレットには時系列で曾良の日記も載っており、内容を比べてみると非常に面白い。
芭蕉が梢だの緑だのひたすら抒情的な文章を書いているそばで、どこそこに泊まっただの、金はいくらかかっただの、急に雨が降ってきただのとにかく現実的で生々しい。
もちろん元の本を読破したわけではないので全てその限りでもないのだろうが、旅情を美しく描いたといわれる奥の細道にはそんな裏話があったんだなぁと感心した。

幼獣は他の兄弟や母親との遊びで社会性を身に着ける。
子狐が草叢で兄弟に飛び掛かり首筋を甘噛みする。それは親狐の視点からは学びであり、子狐の視点からは遊びであろう。その行為は成獣となった時、獲物に飛び掛かり喉笛を嚙みちぎって絶命させる事と地続きだ。
もしかしたら学びとは遊びの随行者であるのかも知れない。いや、逆だろうか…。

壁を睨み付けてそんなことをぼんやり考えていたらだんだん暑くて苦しくなってきた。そういえば今日は猛暑日らしい。私は溜息をつきながら蒸し暑い廊下へ出て冷たい麦茶を飲むためにキッチンへと向かった。


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狂気の伝染

狂うと言う字は獣辺に王と書く。
王が狂気を孕み、臣下を惨殺していくというのはよく聞く筋である。
それをされる臣下は下剋上を企てていたり、本当の忠臣であったりする。
古代社会では王とは神と同義であるが任期の後は神への生贄として無残に自決して黄泉に下っていたらしい。
また王は好んで道化を飼った。ブラックジョークでもって王に箴言することが彼らの仕事だった。

狂気は人間が社会生活を営む際に生じた原始の本能との間のノイズである。
人間は肉を食いながら家畜を愛で、野を焼きながら自然の素晴らしさを説き、戦争をしながら平和を求める。
狂気は人間という一種族が社会を構成して生き残ろうとしたために生じた必然の帰結であり、そうせざるえない種族としての欲求だろう。
これを日本語では穢れと言う。
穢れは血から生じる。女人は川上で経血のついた布を洗って、それが仏に備える水に混入するから女人は全て血池地獄に落ちるという乱暴な仏説も存在する。
一方、仏僧は血が大量に流れるであろう人間界の戦争にも加担していた。これには一殺多生という四字熟語がいかにもそれらしく対応していたのであろう。
とにかく、血は避けられるものである一方、求められるものでもあった。
定期的に起こる革命は大地を赤く染めた。革命は集団的狂気である。
革命前夜、日本では大量の札が宙を舞い、ええじゃないかと叫ぶ民衆が道路を占拠した。

生活には血が付き物であり、血には狂気が付き物であり、それは人間にも「憑く」ものなのかも知れない。王は多くの血を流すために狂気に伝染しやすいのかも知れない。

「憑かれた」時、狂気のノイズを解くのは、栄誉ある王自身とは正反対の卑しい道化による屈託のない皮肉だ。だがそれは裏を返せば、疲れた親に子が見せるような愛情のこもった笑顔であったのかも知れない。


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プロフィール

HN:
古倉 のぶ雪
性別:
男性
自己紹介:
まいにち 
かんがえたことの 
きろく

創作で漫画を描いています。
漫画等に関するご連絡はお問い合わせまでお願いいたします。

《願望》
世の中は
いつも月夜と米の飯
それにつけても金の欲しさよ

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